
依田巽
PROFILE よだ・たつみ
1940年生まれ。現 長田電機工業、山水電気を経て、88年、トーマス・ヨダ・リミテッド(現 ティー ワイ リミテッド)を設立、代表取締役に就任し、2005年より代表取締役会長(現職)。1988年、現 エイベックス顧問就任。93年、同社代表取締役会長に就任し、95年から2004年まで代表取締役会長兼社長を務める。05年、ドリーミュージック代表取締役会長に就任し、17年からは同社取締役最高顧問、さらに21年よりフェイス レーベル統括最高顧問も務める。映画業界においては、1999年、現 ギャガ取締役に就任し、2004年に代表取締役会長、20年に代表取締役社長CEO就任(現職)。ほかにも、ティ・ジョイ取締役、ティー ワイ エンタテインメント代表取締役会長などを務める。また、CEIPA会長をはじめ、日本経済団体連合会 幹事、Japan国際コンテンツフェスティバル実行委員会副委員長、日本レコード協会顧問、ユニジャパン理事、日本映像ソフト協会理事、映像産業振興機構幹事理事、外国映画輸入配給協会常務理事、日中協会副会長、米国・映画芸術科学アカデミー会員など社外役職・団体役員も多数務める。受賞歴は藤本賞ほか、国内にとどまらず、フランス芸術文化勲章(オフィシエ)及びレジオン・ドヌール勲章(オフィシエ)、アメリカ映画協会(MPAA)日本の映画産業界に対する貢献を称える特別賞など海外での受賞も多い。
依田:これは私が30年前から言っていることですが、今後は音楽と映像の融合がより進んでいくと思います。アニメと音楽もそうですし、さらに様々な要素が入ってくると、コンテンツは無国籍化していきますよね。現在のJ-POPにもそういう傾向は出てきているでしょう。ただ、映画制作・配給の立場からすると、邦画をどうやって海外に展開していくかという点については、まだハードルは高いと思っています。トータルで日本ブランドが認められる、そういう土壌をつくるところから始めなくてはいけないと考えています。
中西:韓国のドラマが色々な国で放送された時、登場人物がヒュンダイの車に乗って、サムスンのテレビを観ているシーンも含まれているわけです。そこにサウンドトラックも付いている。やはり国家プロジェクトですから、ちゃんと考えられているんですよ。そういう意味では、MUSIC AWARDS JAPANをトヨタがスポンサードしてくださることは、本当に大事な第一歩だと思います。
依田:素晴らしいことですよね。
中西:僕らも一歩一歩、民間の力でやってきたわけですが、やはり日本の経済界全体、そして国の力も必要になってくると思いますし、野球やサッカー、バスケットボールなどスポーツ界からさらに国際的な大スターが登場することで、より大きな相乗効果が生まれるといいですね。
依田:CDなどのパッケージに代わって配信が主流になってきて、1曲あたりの単価が下がり、経済的に成り立たせるためには、よりコンサートが重要になってきたわけですよね。そんな時にチケットの高額転売が問題になりましたが、中西さんをはじめ皆さんの力で対策を講じて、チケット収入を伸ばしてきたわけです。さらにはグッズ。アーティストの肖像権をマネタイズする仕組みも進化してきました。コンサートはまさに「コト」の消費になり、モノを売る時代からコトを売る、イベントや体験を売る時代に軸足が移ってきたのだと思います。
中西:我々ACPCの基礎調査だと昨年のコンサートの市場規模は6000億円を超えたんですよ。
依田:それは大変な数字ですね。せっかくそこまで成長しているのに、コンサート産業は会場の数とキャパシティの上限があるから、これ以上成長させるには難しい面もあります。
中西:そうなんです。僕らはさらなる成長を目指したいのですが、人手不足で日々のステージの設営が難しくなっているとか、様々な問題も起きています。
依田:コンサートのインフラ整備は国を挙げてやらなきゃいけない問題ですよね。映画のロケをしていると、もともと米軍基地関連の土地だったところが、国の所有地になっているなど、東京の郊外などに驚くほど広大な土地があったりします。民間ではとても手が出せないと思いますが、国レベルではまだまだ東京の西側にコンサート会場を建設できる場所があるような気がします。
中西:新しい会場を建てる時は、その会場を中心に一つの街をつくるような発想が必要だと思うんです。欧米では例えばサッカー場をつくる時に、必ず彼らが言うのは「ノン・フットボール・スタジアム」というキーワードです。フットボール・スタジアムをつくるんじゃないんだと。そこに街をつくるんだということです。だから発展するんですよね。日本はポツンと一軒家システムなんですよ。遠いところに土地が空いているから、ここを使いなさいと。人を集めるまでの構想がないんです。これは本当に何年も言い続けていることなんですが……。
最近は、Bリーグのおかげもあり、理解して頂ける方も増え少しは、未来が明るくなってきた気がします。
依田:1980年代の終わりに、日本でもコンサートビジネス、コンベンションビジネスの新しいモデルが生まれるのではないかと言われていた時代がありました。欧米では、第二次世界大戦後からドイツ、フランスにコンベンションタウンが誕生し、1960年代のパリ近郊にはラ・デファンスというコンベンション地区が生まれました。さらにロスやニューヨーク、テキサスにも、いわゆるコンベンションタウンができ、街として発展していったのです。日本でも大型のコンサートが開催できて、多様性もある「コンサート特区」が必要だと思います。今はまさにそういう時代になりましたね。