
PROFILE かわぶち・さぶろう
1936 年生まれ。大阪府三国丘高校からサッカーをはじめ、早稲田大学から古河電工で選手生活を送る。1964年の東京オリンピックなど、日本代表として国際Aマッチ26試合出場、8得点。現役引退後は、古河電工監督、日本代表監督などを務める。91年にJリーグ初代チェアマンに就任。2002年からはJ FA会長(キャプテン)に就任し、2008年まで同職。現在、日本トップリーグ連携機構代表理事会長、日本サッカー協会最高顧問、日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員、公立大学法人首都大学東京理事長、「こころの東京革命協会」会長などを務める。
中西:有明アリーナをモデルケースにして、次世代型の会場が全国にたくさん生まれてくることが理想です。
川淵:本当にそう思いますよ。
中西:そのためにも有明アリーナをどういうアリーナにすべきか、スポーツ界と音楽業界が一緒に協議する場を立ち上げたいですよね。
川淵:私はそういう委員会を組織してもいいと思っています。有明アリーナのプランを話し合うことによって、我々は音楽業界の皆さんから学ばせていただけると思っているんです。例えば、音楽業界ではグッズ販売がコンサートの収益の柱になっていると聞いていますが、スポーツ界にはそういう発想自体がないわけですよ。だからアリーナを建設する時に、グッズを販売できるスペースを確保しようという感覚はほとんどゼロだと思います。サッカーでもヨーロッパはやはり進んでいるんです。マンチェスター・ユナイテッドでは、グッズだけを売っている体育館みたいなハウスに観光客が殺到しています。
中西:海外の有名サッカークラブに行くと、ユニフォームが新しくなっただけで、みんな買いに行きますからね。マーチャンダイジングを重要視する考え方は、我々の間でも本当にここ10年くらいで進化したことなんです。昔は商品もTシャツとタオルくらいだったのが、それこそお客さんのニーズに合わせて多様な商品を提供できるようになってきました。有明アリーナでも本当に物販のスペースがどうなるのかは気になりますね。
川淵:コンセッション方式の導入がアリーナ経営の成功につながるかどうか、私には見えない部分もあるんですが、どうなんですか?
中西:僕は充分成功の可能性はあると思っていますが、まずどういうアリーナができるのかが分からないと、可能性を追究できないですよね。
川淵:そこまで我々がコミットしないとダメなんですよ。僕らには資金的な実力がないんですが、スポーツ界がそこにちゃんと入っていることによってレガシーとして価値が見えてくるし、音楽業界が入ることでアリーナの運営・経営も方針がはっきりしてくる。このコラボレーションこそが、有明アリーナの成功の鍵なんだということを、これからもアピールしていく必要があります。
中西:現状ではヒアリングの依頼は来ていますが、その先のことを含めて危機感を持ち続ける必要があります。コンサートもスポーツ観戦もすべてはエンタテインメントであって、常に観客の皆さんの目線でアリーナの在り方を考えていきたいですね。