会報誌 ACPC naviライブ産業の動向と団体の活動をお伝えします。
中西健夫ACPC会長連載対談 Vol.41 西高辻󠄀信宏(太宰府天満宮 宮司)
音楽とのコラボの広がり
西高辻󠄀:その後、山口さんは太宰府天満宮で1月7日に行われる「鬼すべ神事」という火まつりに来てくださり、ご自分でも松明を担いで参加されるようになりました。いらっしゃった時に日本アカデミー賞の最優秀音楽賞受賞(主題歌「新宝島」を含む映画『バクマン。』の音楽に対して)の一報が入り、「自分にご縁がある」と感じてくださったようです。毎年7月に当宮の境内で開催する「夏の天神まつり」では3年前から、昔ながらの「太宰府音頭」とともに、「新宝島」で夏越しおどりを踊っているのですが、去年は山口さんが飛び入りで参加し、ステージで「新宝島」を歌ってくださったんです。今年はリクエストに応えて「怪獣」も披露していただきました。伴奏の和太鼓は太宰府天満宮の職員が叩いています。
中西:普通に考えればあり得ないコラボレーションですね。
西高辻󠄀:山口さんとの10年近いお付き合いの中で、ライブに何度も行かせていただいて、どれだけ真摯に音楽に向き合っているか、感じ取ることができました。幼い頃より詩や文学に触れてきた経験が、山口さんの基礎をつくりあげたようで、菅原道真公と通じるものを感じます。それで太宰府天満宮の案内所の四季のサウンドを、山口さんが主宰する株式会社NFにお願いしたり、御本殿の124年ぶりの大改修に伴い設置した、藤本壮介さん建築・デザインの仮殿の音響監修にも関わっていただいたんです。
中西:神社とアーティストのコラボレーションがそこまで広がった例はあまりないと思います。それは宮司と山口さんの関係性からすべてが生まれているんですね。僕は山口さんとの仕事が多いわけではありませんが、とても感謝していることがあるんです。チケットの高額転売が問題になった時や、コロナ禍において、山口さんは音楽業界を代表して積極的に発言してくれたんです。自分達のコンサートができない現状を彼が切々と訴えてくれました。国会議員の先生方もいらっしゃる場で、記者会見に出てくれたりもしました。本来アーティストはそういう場に出たがらないのが当たり前ですが、彼が「自分ができることがあったらやりたい」という姿勢を見せてくれて、我々も心から勇気づけられました。
西高辻󠄀:山口さんはスタッフを含めて「チーム・サカナクション」と呼んで大事にしていますので、広く自分が関わる人達を見渡す目をお持ちなんでしょうね。
中西:宮司は子どもの頃からどんな音楽を聴かれていたんですか。
西高辻󠄀:家でよく流れていたのは、さだまさしさんの曲です。ご縁があって、「飛梅」という曲を書いていただいたり、太宰府天満宮の境内でライブをしていただいたこともあります。さださんの弟さん、佐田繁理(さだ企画代表取締役)さんには子どもの頃からよく遊んでもらっていて、大好きなんですよ。それとMr.Childrenや海外のオアシスなど、王道のJ-POP、ロックも聴いていましたね。
中西:年齢とともに聴く音楽も変わっていきますよね。
西高辻󠄀:私が中学生の頃に福岡ドーム(みずほPayPayドーム福岡)ができたんです。最初に観に行った海外のアーティストは、サイモン&ガーファンクルでした。両親が青春時代に聴いていたこともあって。ただ、福岡ドームの立ち上げの頃は、まだ音響設備も整っていなかったようで、あまり音が良くなかったような気がします。その後、福岡にライブへ行く機会が多くなって、大学で上京してからはライブハウスや赤坂BLITZに行くようになりました。
アートプログラム誕生まで
中西:太宰府天満宮では、2006年からアートプログラム(宝物殿や境内での現代美術の展示など)を開催されていますが、参加するアーティスト(日比野克彦、小沢剛、ライアン・ガンダー、サイモン・フジワラ、ホンマタカシ、ピエール・ユイグ、ミカ・タジマ、スーザン・フィリップスなど)のセレクトは、どのような基準で行っているのでしょうか。
太宰府天満宮では現在、重要文化財である御本殿の大改修のため、参拝者を迎えているのは仮殿。最先端の屋上緑化技術を導入し、屋根の上に豊かな木々が溢れる。建築家・藤本壮介氏による斬新なデザイン。参拝は令和8年5月上旬まで。
西高辻󠄀:国内外の展覧会、アートフェアなどに足を運ぶ中で、素晴らしいなと思ったアーティストの方々を記憶に留めておいて、数年間リサーチをした上でお声がけをすることが多いです。
中西:宮司からアプローチをするんですね。
西高辻󠄀:そうです。お声がけをさせていただいてから、太宰府天満宮に足を運んでいただいて、神道や天満宮について取材したり、神事に参列する中で、この場所でしか成立しない作品をつくっていただいています。絵画や写真、コンセプチュアルアートなど、幅広い分野の方に参加いただいていますが、コンセプトやアイディアを掘り下げていくタイプのアーティストのほうが、神道や自然といったテーマとの親和性がより高いと感じています。
中西:音楽についてはお伺いしましたが、アートに対する興味はどのように育まれたのですか。
西高辻󠄀:太宰府天満宮の宝物殿に残っている様々な文物に触れてきた経験も大きかったと思いますが、中学・高校の美術の先生がとても面白い方で……。
中西:ああ、先生との出会いは大事です。
西高辻󠄀:中学は受験をして入学したのですが、受験勉強は一つの正解にどうやって辿り着くかがポイントですよね。そういった勉強とはまた違う、多様性のあるものの見方といいますか、答えがない問いかけへのアプローチを教えてくれた先生でした。中高一貫の学校に通いながら、サッカー部に入りつつ美術室にも出入りし、先生の影響も受けてより美術が好きになっていきました。大学でも美術史を専攻し、日本の古美術を専門としましたが、学芸員資格を取るために、現代美術のアーティストと一緒に展覧会をつくる実習を受けました。その時に海外のアーティストを呼んで話し合いながら展覧会をつくっていく面白さに目覚めたのです。それと太宰府天満宮では明治時代から約120年がかりで九州国立博物館を誘致していまして、境内の3分の1の土地を無償で寄贈して開館(2005年)が実現したタイミングがありましたので、それらの経験をもとに2006年にアートプログラムを立ち上げたのです。






















